2011-03-11

震災

 14:46、ビルのB2にある会社のオフィスで強い揺れを感じる。

普段地震が来ても地下はあまり揺れを感じないけど、今回のはただごとじゃない揺れ(揺れというより「うねり」っていう感覚)で、自分も周りの人たちも地上を目指して慌てて非難する。
年々発生確率が上がっていく東海沖地震が頭をよぎる。
ただしここはオフィス街。高いところから何が落下してくるかわからない中、安易に外に出るわけにもいかず、ビルの出口あたりで外の様子を伺う。
交差点脇にある交番からアナウンス。宮城沖震度7の地震発生。

長い揺れが落ち着いてとりあえずオフィスに戻り、ネットやテレビで情報を求めると、東海沖のものでは無いことはわかったけど、とんでもなく甚大な被害を受けてるようで、とてつもなく大きな津波が押し寄せたことがわかってきた。
東京は震度5強。
 そうこうしてるうちにも大きな余震が頻繁にくるから、途中からは荷物をセットして完全に脱出体制になる。

外壁が崩れ落ちたビル前
大きな余震のたびに1階まで駆け上がる。
建設中の高層ビルの上部に設置されてるクレーンが大きく揺れてるのが見える。
周辺のビルでは一部外壁が崩れ落ちた。
ビルの中や周辺の人たちがそれぞれにベストと思っている避難体制をとってて、ビルが立ち並ぶ中で、そこが安全地帯と判断する人たちが道路の中央分離帯に集まってる。
それを歩道側に戻そうとする交番のアナウンス。でも誰も聞こうとはしない。
1997年のFUJI ROCK FESTIVALの時に見たような、パニック時にあっという間にもろく崩れてく秩序を感じる。

幸い今日はあんまり仕事が忙しくなかったから良かったけど、仕事に全く集中できる感じじゃない。
余震に次ぐ余震で、PCのモニターを見てると揺れで気持ち悪くなってくる。
東京の電車は全てストップ。当分復旧の見込みはたってない。
会社側からも、帰る手段のある人は退社OKの指示。
普段スキー場へのアクセスを調べるときなんかに使ってるサイトで家までのルートを検索したところおよそ18km。 歩けない距離じゃない。

妻は3月下旬に転職する職場の新宿 から旧職場の表参道へ向けて徒歩で出発するという連絡を受ける。
表参道が、自分の職場のある東京駅近辺から家までのちょうど中間地点ぐらいだから、そこでピットインぐらいのイメージで、連絡を受けてからまもなく17:30過ぎに出発。

途中あちこちで、ビルの前が規制されてるところは、上を見上げるとひびが入ってる窓が多数。
銀座・虎ノ門・六本木あたりや国道246号線あたりは自分と同じように家を目指して歩いてると思われる人が多くてあまり早くは進めない。
恐らく会社から支給されてると思われるヘルメットをかぶる人たちも多くいる。
途中で見るコンビニはことごとく、人でごった返してる。
19:15ぐらいに妻の旧職場に到着。
食料調達が困難になるのを恐れて確保してくれてた、カップラーメン。
合流できた安心もあって、やっと一息つけた。

少し休憩した後、妻の旧職場の人たちとお互いの徒歩帰宅の健闘を祈りつつ20:00頃出発。
歩いてるとわからないけど、この間にも恐らく余震は続いてるんだろうと思いながら歩く。
22:00を過ぎても徒歩帰宅の人たちが大勢いる異様な光景。
22:15頃やっと家に到着。足の付け根にだるさを感じる。
足には少しは自信があった自分がこんなふうになるんだから、みんな大変な思いで帰ってるんだと思う。

明日以降どうなってしまうんだろう。
長く暗い将来を思いながら疲れて寝る。

スキーやスポーツに絡む内容に統一してるこのブログだけど、この歴史的な被災の1日のことは書きとめておくべきだろうと思った。

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